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2020年12月13日更新
2020年12月20日 主日礼拝 =クリスマス礼拝=
前 奏
招 詞 イザヤ書60:1~2
讃 詠 546 (夕拝:98)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 ルカによる福音書 2章1~7節 (新約p102)
牧会祈祷
讃 美 歌 98
説 教 「飼い葉桶のキリスト」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 107
転入会式
讃 美 歌 338
聖 餐 式
讃 美 歌 207
献 金
頌 栄 545
祝 祷
後 奏
報 告
説教「飼い葉桶のキリスト」
コロナウイルスによって、この世は闇に覆われたような日々です。しかしだからこそクリスマスの光が必要です。クリスマスはまさに「闇の中に光が訪れた」、そういう出来事です。暗闇の中でこそロウソクの灯りが必要なように、明るく楽しく賑やかなところではなく、悲しみや絶望や孤独の中でこそクリスマスの本当の喜びが見えてきます。なぜなら、最初のクリスマスがそういうところで始まったからです。
ヨセフとマリアは皇帝の勅令により、人口調査のために本籍地ベツレヘムに向かいます。彼らの事情などお構いなしです。辛くしんどい道行きです。しかも長旅の末にたどり着いたベツレヘムでは、宿屋に彼らの泊まる場所はありませんでした。しかし皆が雑魚寝するような宿ですから、マリアたちが泊まれる余地はあったのではないかと思うのです。ちょっと詰めてくれればよかっただけなのです。しかしマリアは妊婦でした。彼らを受け入れると厄介なことになりかねないのです。そのために、「もう一杯です」と、体よく断られ、受け入れてもらえなかったのではないかと思うのです。
その結果、彼らがたどり着いたのは馬屋でした。要するに「人間扱いされなかった」のです。つまり、最低の所に追いやられたのです。...惨めだったと思います。もう子どもが生まれるのです。なのに、抗うことの出来ない力に振り回され、周囲から冷遇され、ついにこんなところにきてしまったのです。彼らはやりきれない思いの中で、自分たちの貧しさや力なさに、惨めさに、涙したのではないでしょうか。
その夜、その馬屋でキリストはお生まれになりました。そして飼い葉桶の中に寝かされます。清潔なベットではない。温かい産湯もない。ボロ切れにくるまれ、飼い葉桶の中に寝かされたのです。 ...これが最初のクリスマス、これが神の御子キリストの誕生です。最初のクリスマスは悲惨なものでした。悲劇だったのです。
しかしこの最初のクリスマスはなんと慰めに満ちていることでしょうか。それは「神の御子がわたしたちの孤独、惨めさ、貧しさ、悲しみ、この世の闇を、全部知って下さった」ということです。神さまは私たちを忘れてはいないし見捨ててはいない。あなたを一人にはしない。あなたの苦しみの中にキリストを通して共にいると言ってくださっているのです。それが飼い葉桶のキリストが示すことなのです。