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2020年12月20日更新
2020年12月27日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編98:1~3
頌 栄 539 (夕拝:115)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 サムエル記上 4章1~18節 (旧約p433)
牧会祈祷
讃 美 歌 115
説 教 「心を入れ替えて」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 507
献 金
讃 詠 545
祝 祷
後 奏
報 告
説教「心を入れ替えて」
この時、イスラエルとペリシテの間に戦が始まりました。イスラエルは惨敗を喫してしまいます。それで、神の箱(十戒の刻まれた石版を納めた箱)を陣営に運びこんで、第二戦に臨むことにしたのです。ところが、神の箱を持ち込んでの第二戦はさらなる惨敗を喫し、大切な神の箱まで奪われてしまったというのです。
なぜ、神の箱を持ち込んだにもかかわらず、負けてしまったのでしょうか? 長老も民も、「主の契約の箱を運んでくれば、主が我々のただ中に来て、敵から救って下さるだろう」(3節)といいます。つまり彼らは「契約の箱を運び込みさえすれば、主を運び込みさえすれば、勝利が得られる」と思ったのです。自分たちが心を入れかえるかどうかは問題にせず、ただ箱が彼らと共にあるだけで勝利が得られると考えたのです。
神の箱が運ばれてくるのは素晴らしいことでした。皆がひれ伏し、悔い改め、この契約の御言葉に従う思いを新たにしていれば本当に素晴らしいことだったのです。しかし彼らはそこで神に聞き、神に応答することをしませんでした。「ただ箱を担いできただけ」だったのです。そして「神が何かをして下さる」といたずらに手をこまねいているだけだったのです。
契約の箱は、ただ担いで運び込めばよいのではありません。そこに記されている御言葉に生きなければなりません。...私たちもそうです。ただ礼拝すればいいのではない。聖書を読めばいいのではない。そこで語られた言葉に生き、それに応答しようとしなければ、ここでエベン・エゼルに陣を強いたイスラエルといったい何が違うでしょうか。
わたしたちは先週、クリスマスを迎えました。主イエスをお迎えしました。しかしわたしたちはただそれだけになっていないでしょうか。主イエスに聞き、主イエスの愛に応答しようとしているでしょうか。主イエスと共に歩んでいるでしょうか。形ばかりの信仰になってはいないでしょうか。