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2020年08月06日更新
2020年8月9日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編86:11
頌 栄 544 (夕拝:39)
主 の 祈
聖 書 コリントの信徒への手紙二1章15~22節
(新約p326)
牧会祈祷
讃 美 歌 75
説 教 「神は真実な方」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 290
献 金
讃 詠 545
祝 祷
後 奏
報 告
説教 「神は真実な方」
コリントの教会の混乱ぶりを知ったパウロは、彼らを信仰の恵みに立ち返らせるために、なんとしてもコリントへ行きたいと考えていました(15~16節)。しかし、知恵を誇りとする教師たちによってかき回されていたコリントの人々は、それを歓迎しなかったようです。それでパウロは「少し時間をおいた方がいい」と判断し、コリント行きを延期したのです(1:23、2:1)。ところが、今度は「パウロは二枚舌だ、来ると言ったり来ないと言ったり、すぐに言うことが変わる」(17節)という批判が起こったのです。
パウロはそもそも不純な動機でコリント行きを計画したり、身勝手な理由でそれをやめたのでもありません。全て、彼の情熱や愛の配慮の中で決められていったことです。しかしそれが誤解され、曲解され、否定されるのです。悔しく悲しく、残念だったことでしょう。
しかし、こういうことは珍しいことではないのです。たとえ人間の誠意や愛情、善意から出たことであってもうまくいかないことがあります。人間も、人間の世界も不完全です。それゆえにどんなに善意が集まっても、そこに悲惨や悲しみが生じることもあるのです。しかしそうであれば、そういう事態が起こってしまうことが問題なのではなく、「そこでどうするのか」こそ、本当の問題なのです。
ではそこで何をするのか?「戦う」のです。その相手とではなく「自分の心」、怒りやあきらめ、絶望や無力感と戦うのです。
パウロもこの時、様々な思いが渦巻いたことでしょう。しかしパウロがここで語ったのは、「神は真実な方だ」ということでした。「イエス・キリストは然りと同時に否となる方ではない。キリストの恵みはいつも然りだ、いつも変わらないのだ」というのです。...パウロは決して怒りや失望や無力感にとらえられず、なお自分の務めを果たし続けたのです。目先の問題と戦わず、自分の果たすべき使命をしっかりと見据え、「イエスさまの恵みにとどまり続けるように」と説き続けたのです。
わたしたちも目先の問題でくじけるのではなく、与えられている務めや責任、そして使命を見失わずに歩んで参りましょう。...簡単なことではありません。 しかし神さまは真実な方です。わたしたちの涙を、努力を、決して無駄にはなさいません。 それは必ず豊かな実りをもたらします。それは、人々の無理解や裏切り、非難、そして悪意を受け、そのあげくに十字架の死を遂げられた主イエス、しかしその後、よみがえられたあの主イエスのお姿を通して、神さまがわたしたちに示しておられることです。






