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2022年02月13日更新
2022年2月20日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編100:1~3
頌 栄 546(奏楽のみ) (夕拝:43)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 ヨハネによる福音書 5章1~18節 (新約p171)
牧会祈祷
讃 美 歌 3(奏楽のみ)
説 教 「起きて、歩きなさい」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 532(奏楽のみ)
献 金
頌 栄 543(奏楽のみ)
祝 祷
後 奏
説教「起きて、歩きなさい」
エルサレムのベトザタの池には時々天使が降り、水が動いた時一番最初に入った者はどんな病気でも癒やされるとの言い伝えがあり、様々な病気で苦しむ人々が集まっていました。しかしこの池は「ベトザタ(恵みの家)」との名に反し、その実態は「元気な者が我先に飛び込み、弱った者や介助のない者はいつまでもその恵みにあずかれない」という、まさに弱肉強食のこの世界の縮図だったのです。
この池の畔に38年も病気で苦しんでいた人がいました。気が遠くなるような年月です。38年、これは「自分の人生は一体何だったのか」と思うには十分な長さです。彼は運命を呪い、隣人に恨みやうらやみを抱き、自己憐憫に閉じこもっていました。
そんな彼にイエスさまは「よくなりたいか」と聞かれ、本人の隠れていた思いや願いを引き出し、「起き上がりなさい、床を担いで歩きなさい」と仰いました。その言葉に聞き従って立ち上がると、彼はたちどころに癒やされ、床を担いで歩き出したというのです。水に入ったからではありません。誰かが一緒にいてくれたからでもありません。主イエスの御言葉を聞き、それに従った時に彼は健やかになり、床を担いで歩み出したのです。
この人はわたしたちと無関係でしょうか。そうではありません。病だけではないのです。自分の意に添わぬ環境、そこから抜け出そうとしてもがき続ける日々...。その中で疲れ果て、気力を失い、諦めに取りつかれ、「誰も助けてくれない」とつぶやき、自己憐憫の中にうち沈んでいく...。そんなわたしたちにも主イエスは呼びかけておられます。「よくなりたいか」と。そして「起きて、床を担いで歩きなさい」と。
わたしたちに必要なことは、御言葉を聞いて、信じて、一歩踏み出すことです。信仰の問題は頭や心の中だけのことではないのです。立ち上がって、床を担いで踏み出すのです。その時きっとわたしたちも新しく生まれ変わるのです。