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2020年10月25日更新
2020年11月1日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編86:11
頌 栄 544 (夕拝:37A)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 コリントの信徒への手紙二 4章13~15節 (新約p329)
牧会祈祷
讃 美 歌 93
説 教 「信仰を語る」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 338
献 金
頌 栄 541
祝 祷
後 奏
報 告
説教「信仰を語る」
使徒パウロは、「わたしは信じたので、語った」(13節)と述べています。パウロは勇敢な伝道者です。迫害も苦難をも恐れず宣べ伝えました。でもそれは、彼が特別に強い人、情熱的な人だったからというよりも、救われた喜び、自分の信じている救いの喜びを、語らずにはおれなかったのです。
「信仰」とは、単に、自分の人生における一つの「思想、信条を持つ」ことではありません。信仰とは「救われた喜びに生きる」ことです。すなわち、ただの思想や物事の考え方とか、あるいは心の中だけのもの、精神的なものではなく、わたしたちの生活の中に滲み出てくる。言葉や行い、いずれかの形をとって必ず現れてくるはずのものなのです。
パウロはとても黙っていることなど出来なかったのです。信仰とは決して、心の奥底にしまい込まれ、隠し置かれるべきものではありません。それは、「語られるべき」もの、言い表されるべきものなのです。わたしたちも心から信じたならば、礼拝の時だけでなく、その生活そのものが「信仰告白的な生き方」になっていくはずなのです。
では、信仰はなぜ言い表すのでしょう。なぜ形にならねばならないのでしょう。もちろん周囲に証しし、伝道するためです。しかしそれは何より「神さまが喜ばれるから」なのです。わたしたちが感謝や愛を、心の中だけでなく直接示されると嬉しいように、神さまもわたしたちの信頼と愛を心から喜ばれるのです。わたしたちはそのことを覚えて、礼拝でも信仰を言い表しますし、また日々、信仰告白的な生き方をするのです。
わたしたちは神さまが「主イエスを復活させ、このわたしたちをも復活させてくださる」と知っています(14節)。そのことを多くの人が知り、その恵みに与り、神さまに感謝し栄光を帰すようになるため(15節)、さまざまな仕方で信仰を語りつつ歩んでいくのです。