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2020年11月01日更新
2020年11月8日 主日礼拝(召天者記念礼拝)
前 奏
招 詞 イザヤ書43:1~2
讃 詠 546 (夕拝:38)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 ルカによる福音書 23章32~43節 (新約p158)
牧会祈祷
讃 美 歌 1
説 教 「私を思い出してください」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 140
記 念 式
讃 美 歌 355
献 金
頌 栄 541
祝 祷
後 奏
報 告
説教「わたしを思い出してください」
人は死んで終わりではありません。神が主イエスを通して永遠の命を授けてくださったからです。しかしそんなわたしたちにも悩みがあります。それは「信じない者のこと」です。
今日の聖書にその問題への一つの光が与えられています。主イエスは他に二人の犯罪人と一緒に十字架にかけられました。この二人は犯罪を犯したのも、十字架上でその命が風前の灯であるのも一緒でした。しかし一方は自棄になって悪態をつき、一方は罪を告白して主イエスの平安の中に身を委ねたのです。
この二人のように、わたしたちもみな罪人です。わたしたちにもまもなく死が迫っています。また二人は主イエスに対して正反対の態度をとりましたが、人は主イエスに対して、「信じるか」「信じないか」、二つに一つです。...この二人は全ての人間の代表なのです。
わたしたちは自らの罪を認め、主イエスを信じました。しかし信じない者がいたのです。わたしたちの周囲にも信じない者がいるのです。また信じずに死んでいった愛する者がいるのです。これをどう受けとめればよいのでしょうか。
しかしそこでわたしたちは、主イエスの十字架の上の祈り、「父よ、彼らをお赦しください。何をしているのか知らないのです」を思い出したいのです。...この祈りは、自分を十字架に付けた下手人や、イエスさまを嘲弄した民衆のためだけの祈りでしょうか。そうではありません。十字架の上の犯罪人も「自分のしたことがわかっていない」のです。であれば、彼もこの祈りに包まれているのです。イエスさまはこの犯罪人のためにも祈ってくださったのです。...主イエスを信じるに至らずに死んだ人のことを思うと心配になります。しかしわたしたちはこの主イエスの祈りに委ねることが出来るのです。
また主イエスはここで、この二人と一緒に死んで下さいました。信じる者とも信じない者とも、一緒に死んでくださったのです。すなわち、主イエスは信じる者とも信じない者とも、死の陰の谷を歩む時に一緒にいてくださるのです。
わたしたちもいずれ死を迎えることを覚え、「イエスよ、御国にてわたしを思いだして下さい」と、心から祈りたいと思います。また信じない者のためにも、「イエスよ、あの人のことを思い出して下さい」と祈りたい、否、そう祈ることが出来るのです。なぜなら主イエスは、十字架で「父よ、彼らをおゆるし下さい、何をしているのか知らないのです」と祈る救い主だからです。