- ホーム
- お知らせ
- 2020年度のお知らせ
- 2020年11月15日 主日礼拝
2020年11月08日更新
2020年11月15日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編96:7~9
頌 栄 539 (夕拝:39)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 コリントの信徒への手紙二 4章16~18節 (新約p329)
牧会祈祷
讃 美 歌 2
説 教 「だから、落胆しない」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 522
献 金
讃 詠 545
祝 祷
後 奏
報 告
説教
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの外なる人は衰えていくとしても、わたしたちの内なる人は日々新たにされていきます」(16節)。
慰めに満ちた御言葉です。しかしこれは、「年をとれば肉体が古び衰えていくけれども、心は生き生きとして若々しい」ということなのでしょうか? そうではありません。なぜなら、わたしたちには「体の衰えと共に心も衰えていく」という現実もあるからです。もちろん年齢と共に角が取れ、人格や品性が練り清められていくということもあります。しかし年を重ねるにつれ、頑固になり卑屈になり、妬み深くなり怒りっぽくなる、そういうこともあります。年を取っても相変わらず自分が心狭く、自己中心だと思い知らされることがあります。恐れたり、鬱々としたり、絶望したりすることもあるのです。またイエスさまのこと、教会のこと、洗礼を受けたことも忘れてしまうこともありうるのです。実に、「衰えていく外なる人」というのは「わたし自身」のことです。肉体も精神もひっくるめた「わたし自身」のことなのです。
では、日々新たにされていく「内なる人」とは何でしょう? 要するに「キリスト」のことです。わたしたちに内在するキリストです。自分が古び衰えて行くにつれ、そうやって自分自身には救いも望みもないことを知るにつれ、自分の中でキリストが大きくなっていくのです。キリストの贖いによって救われているという恵みが日々新しく受けとめられていくのです。こんこんと湧き出て枯れることのない泉のように、日々この恵みに生かされていくのです。
贖いとは買い取られることです。神さまのものとされることです。神さまがわたしのことをすべてまるごと引き受けてくださるということです。わたしたちは神の御子イエス・キリストという代価をもって買い取られた、神さまのものなのです。
目に見えるものは過ぎ去ります(18節)。外なる人は古び衰え、滅び去るのです。しかしわたしたちは落胆しません。神さまが「あなたのことはわたしが引き受けた」と仰っているからです。その目には見えない神の愛と救いの恵みは、永遠に存続するからです。この神の愛、キリストがわたしの内に宿り、その恵みに日々生かされていくのがわたしたちの歩みです。