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2020年04月28日更新
2020年5月3日主日礼拝
前 奏
讃 美 歌 150(1節と2節)
主 の 祈 (週報裏面)
聖 書 コリントの信徒への手紙一
16章1~9節
(新約p323)
牧会祈祷
説 教 「神に仕える者の姿」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 337(1節と2節)
献 金
頌 栄 543
祝 祷
後 奏
報 告
説教 「神に仕える者の姿」
この箇所では「募金」(1節~)と「旅行の計画」(5節~)について語られます。しかしそれを貫くように「神に仕える者の姿」が示されています。謙遜で、真実で、懸命で、切なく、そして幸いな姿です。
まずエルサレムへの募金について「わたしが着く前からしておいて欲しい」といいます(2節)。これは「さすがパウロだ」とならないためです。「働きは大きく、自分は小さく」なのです。
また3節で、「代表者に募金を持っていってもらう」といいます。実は「パウロは募金を私している」(第二コリント8:20~)という根も葉もない誹謗中傷があったのです。誤解する人や足を引っ張る人もいましたが、パウロは決してくさらず、主の業に仕えます。
また「もしよければ、わたしも一緒に行く」(4節)と言います。これは「命懸け」です。パウロの最大の迫害者はユダヤ人で、その本拠地エルサレムに行くのは敵の中に身を投じるようなことです。使徒言行録ではそれを自他共に認め、死の覚悟さえしていたのです(20:22~、21:10~)。
また5節以下で、パウロはコリントへ行くに際し、「旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない」(7節)と言います。...コリント教会は困った教会でしたが、「何かのついでに」ではなく、心を込め誠実に取り組みます。しかしそれを、「主が許してくだされば」といいます(7節)。自分に固執することなく、自分の思いや計画を柔軟に変えます。神のみ旨を追い求め、柔軟に自分を変えていく用意がある、それが神に仕える者の姿です。
また今しばらくはエフェソにいるといいます(8節)。伝道の大きな可能性があり、一方で敵対者も大勢いるのです(9節)。そこに信徒たちを置いては行けず、今はエフェソに留まることが必要でした。...「いつも自分を一番必要としている人のところへ行きなさい」(ジョン・ウェスレー)。「自分が必要としている所」にばかり行くのではなく、「自分を一番必要としている所へ行く」のです。
これが神に仕える者の姿です。「馬鹿馬鹿しい」、「無理だ」、そう思うかもしれません。しかし、このことのためなら誤解されてもいい。苦しんでもいい。自分を変えてもいい。命を懸けられる。そういう相手や事柄をもつ人生はなんと幸いでしょう。思えば、主イエスさまがそうでした。キリスト者というのは、形は違っても、場所は違っても、働きは違っても、それぞれがそのキリストの愛に応えて、生きていく者たちのことです。