- ホーム
- お知らせ
- 2020年度のお知らせ
- 2020年5月10日(創立100周年記念日)主日礼拝
2020年05月05日更新
2020年5月10日(創立100周年記念日)主日礼拝
前 奏
讃 美 歌 54(1節と2節)
主 の 祈 (週報裏面)
聖 書 出エジプト記
1章15~21節
(旧約p94)
牧会祈祷
説 教 「歴史を造る働き ~創立百周年を覚えて~」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 195(1節と2節)
献 金
頌 栄 543
祝 祷
後 奏
報 告
説教 「歴史を造る働き ~創立百周年を覚えて~」
キリスト教の2000年の歴史において、100年はごくわずかです。わたしたちの教会はまだ「若い」のです。すなわち「まだ始まったばかり」なのです。まだまだ成長し続け、長い歴史を刻み続けていくのです。
エジプト王ファラオは、国内でどんどん数を増やすイスラエルに脅威を感じ、助産婦に「生まれてくる男の子はすべて殺せ」という厳命を出します。これは「死産」だったということにせよという大変したたかなやり口だったとも言います。しかし神を畏れる助産婦シフラとプアはその命令に背きます。ファラオに詰問されると「私たちが着く頃にはいつもすでに産まれている」と上手く受け流したというのです。目立たないような出来事ですが、何とも尊い言動です。しかし私たちはこの二人のことを、その名前まで覚えていたでしょうか。
聖書には様々な人々が登場します。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、アロン、ヨシュア、ギデオン、ダビデ...。しかしここに出てくるこの二人がいなければ、モーセもダビデもおらず、その後の大勢の働きはあり得ませんでした。つまり神の救いの歴史は有名な人々だけで担われてきたのではないのです。人目につく大きな働きだけが歴史を造るのではなく、それらを支えるように小さな存在の目立たない働きがたくさんあるのです。...歴史を支配し導いているのは神さまです。有名な人、そうでない人、また名前すら出てこない歴史の彼方に忘れられているような人々。その働きを用いて神さまが歴史を導いておられます。わたしたちの教会も同じです。堺教会も目立つところで大きな働きをした者だけでなく、それらを支え包み込むように数々の小さな働きがあり、人目に付かぬ働き人がいたのです。神さまがそれを用いられました。そうやってこの百年の歴史をわたしたちは紡いできたのです。
わたしたちが今担う、またこれから担う小さな業も直接的に間接的に歴史を造るのです。掃除をすること、訪問すること、電話や手紙、祈ること、小さな愛の配慮...、たとえ目立たなくとも、教会のためキリストのために何かをするならば、それは歴史を造るために大切な役割を果たしているのです。
シフラとプアが聖書に覚えられている、これは「わたしたちという小さな存在のどんな小さな働きさえも神によみせられ覚えられている」ということの確かな約束なのです。