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2020年08月19日更新
2020年8月23日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編62:6~7
讃 詠 546 (夕拝:41)
主 の 祈
聖 書 コリントの信徒への手紙二 1章23~2章4節 (新約p326)
牧会祈祷
讃 美 歌 76
説 教 「悩みと愁いの中で」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 298
献 金
頌 栄 541
祝 祷
後 奏
報 告
説教「悩みと愁いの中で」
パウロは、愛してやまないコリント教会が混乱しているため、コリント訪問を計画しました。しかしコリント教会への牧会的配慮・愛の配慮の中で、コリント行きを延期することにしたのです(1:23~)。苦渋の決断だったことでしょう。パウロは愛するがゆえに「行かなかった」、愛ゆえに「しなかった」のです。
もちろん、「愛」のゆえに「する」ことは多くあります。けれども、愛のゆえに「しない」、あるいは「今はしないでいる」ということも時にあり得るのです。周りから見るとそれは怠惰に、無責任に、薄情に見えるかも知れません。わたしたちはとかく「行動すること」に一生懸命です。それは「行動すること」にのみ価値があると思っているからです。しかし「しない」ことも、ある意味で「行動」です。また、愛ゆえに「しない」ことは、「する」こと以上に勇気がいるのです。そこには神さまへの信頼が必要だからです。
これは言い換えれば、「待つ」ことにしたということです。パウロはこの大きな悩みと愁いの中で、「涙ながらの手紙」を書きました(4節)。そしてあとは神さまにゆだねて待つことにしたのです。パウロは結局、今自分に出来ることをし、あとは神さまに彼らをゆだね、彼らを愛しぬき祈りつつ、彼らが悔い改めて、神さまと信仰に立ちかえることを「待つ」ことにしたのです。 ...わたしたちも人を愛する中で、さまざまな問題の中で、悩みと愁いの中で、「待つこと」を教えられなければならないのではないでしょうか。
本当のことというのは待つほかないのです。特に本当の喜びや実りは、待ち続けた先で得られるのです。北国の人は春を待ち、農家は秋の実りを待ち、漁師は夜明けを待ち、親は子の成長をゆっくりと待ちます。生まれてすぐに成長し、成熟した人間になれるはずがありません。しかし愛する者はそれを信じて待つのです。神さまに信頼して、神さまが働いてくださることを信じて待つのです。
わたしたちも悩みと愁いの中で「待つことが出来る」のです。それぞれの抱える問題の中で、急いで結論を求めなくてもいい。神さまにゆだね、神さまの備えてくださっているふさわしい時、実りの時が来ることを待つことが出来る。 聖書は「全てのことに時がある」と語ります(コヘレトの言葉)。全てのことに神さまの備えたふさわしい時が必ずあるのです。 ...思えば、神さまもわたしたちのことを忍耐強く待っていてくださったのではないでしょうか。あの放蕩息子の父のように(ルカ伝15章)。