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2020年08月27日更新
2020年8月30日 主日礼拝
前 奏
招 詞 ヨハネによる福音書4章23~24節
頌 栄 539
主 の 祈
聖 書 士師記16章13~31節 (旧約p410)
牧会祈祷
讃 美 歌 77 (夕礼拝42)
説 教 「サムソンとデリラ 〜愛と裏切り〜」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 259
献 金
頌 栄 540
祝 祷
後 奏
報 告
説教「サムソンとデリラ ~愛と裏切り~」
ペリシテの美女デリラにすっかり入れ込んでしまったサムソンはついに自分の怪力の秘密をもらしてしまい、頭をそられ、並の人間のようになり、ペリシテ人に捕らえられます。そして両眼をくりぬかれ、牢に入れられ、粉をひく労働をさせられることになってしまうのです。
なぜサムソンはデリラの奸計にはまってしまったのでしょうか。子どもでもデリラの悪質さは分かります。...しかし人が罪を犯したり失敗したりする時というのは、えてしてこういうことなのでしょう。客観的に見れば、あるいは後で考えれば分かるのです。でも渦中にいる時には冷静な判断さえ付かなくなるのです。
ひょっとしたらサムソンは、死ぬほどに悩み苦しんで、その結果、「自分の力が失われるよりも彼女を失いたくない」という結論に至ったのかもしれません。それほどまでに愛していたのは事実でしょう。一方でデリラは実に陰険で非情です。普通、自分のための彼の苦しみと愛を思えば、少しは彼の真実に打たれ、同情するところがあってもいいようなものです。しかしわたしたちはこの二人を笑うことも批判することもで出来ません。なぜならば、このわたしたちは何と愚かで弱く、なんと冷徹で非情なことでしょう。わたしたちはしばしば直情径行で、安易に罪や欲望に流され、一方で人を愛するべきでありながら、また愛を口にしながら、その実、自分のことしか考えていないということばかりではないでしょうか。「愛に偽りがあってはならない」(ロマ12:9)とありますが、まさに愛においても偽りだらけではないでしょうか。何よりわたしたちは主イエスをどれだけ裏切り続けていることでしょう。主イエスは私たちが裏切ることをすべて承知の上で、十字架にご自分の全てをささげてくださった。なのに今なお、そのイエスさまを、「愛し、従います」と言いながらどれだけ裏切り続けていることでしょうか。
しかし主イエスはそんなわたしたちのことを百も承知で、「それでもあなたを失いたくない」と十字架で死んでくださったのです。惨めな姿になり、見せ物にされたサムソンのように、侮辱され、さらし者にされ、そして最後に自分の命と引き換えに多くの敵を滅ぼしたサムソンのように、ご自身の死をもってわたしたちの罪、滅びの力を打ち破ってくださったのでした。