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2021年11月14日更新
2021年11月21日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編69:31~33
讃 詠 546(夕拝49)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 ヨハネによる福音書 2章13~22節 (新約p166)
牧会祈祷
讃 美 歌 7(2節まで)
説 教 「神を心から崇めるために」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 352(2節まで)
献 金
頌 栄 540
祝 祷
後 奏
説教「神を心から崇めるために」
ヨハネ福音書は宮潔めを公生涯の初めに記します。他の福音書は受難週の出来事としていますが、ヨハネは主イエスの来臨の目的が結婚式に象徴される私たちへの祝福と、真実な礼拝の確立だったと、まず最初に示すのです。
主イエスは神殿で、鞭を作り、牛や羊を追い出し、両替人の台をひっくり返しました。そして「私の父の家を商売の家にするな」と叫ばれたのです。
神殿での商売、これは「異邦人の庭」と呼ばれる一番外側の区画で行われていました。異邦人も神さまに招かれていました(イザヤ56章等)。それゆえに「異邦人の庭」が設けられていたのです。しかし招かれた彼らが居てもいい場所、そこでは「商売が行われていた」のです。そうであれば、一体どこで礼拝をするのか? 結局、彼らは蔑ろにされているのです。神さまは招いておられるのに、実際のところ彼らには神殿は開かれた場所になっていなかったのです。...私たちの教会・礼拝はどうなのか、問われているように思います。
また神殿が「商売の家」になり、神殿で利益を得ようとしている人々が大勢いました。わたしたちもしばしば「ご利益」を求めていないだろうか。私たちはしばしば、自分の心を満たし、必要を満たす、そうやって私たちの満足を保証し、要求に応えてくださる神さまだけを求めてはいないでしょうか。あからさまにご利益を求めなくとも、神さまに自分の願い通りに動いて欲しい。ひょっとしたら、意外とそんな思いばかり抱いてここにいるかもしれない。しかし信仰とは、「神さまを従わせる」事ではなく、「自らが神さまに従っていく」ことなのです。
またこの時、神殿では商売がなされ、自らの利益や儲けばかりが考えられていたように、私たちも礼拝に来ていても、結局は富やこの世の力を求め、頼みとしているところがないだろうか。信仰者でありながら、罪の赦し、神の愛、神の救い、永遠の生命より、この世の富がよほど大事で、現世での成功を求め、この世の力を求め、自分がなにがしかを得ることばかり求めている、心の底ではそういうものにばかりに思いを向けている、そんなことがないだろうか。主イエスはそんな私たちをどうご覧になっているか、今一度、自らを振り返りたいのです。
しかしこの私たちの罪をイエス・キリストが引き受けてくださり、十字架の上で死んでくださったのです。そして三日目に復活されて、ご自分の潔き体で人間と結びつき、ご自分と父なる神との深い交わりの中に、私たちを迎え入れてくださっているのです。このようにして、イエスさまは私たちと神さまとを結び付ける真の神殿となってくださいました。私たちはこのイエスさまによって、このように罪深い者であるにもかかわらず、心から神さまを崇めることが出来るのです。