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2021年10月31日更新
2021年11月7日 主日礼拝
前 奏
招 詞 イザヤ40:6~8
頌 栄 542(夕拝45)
主 の 祈
信仰告白
聖 書 ヨハネによる福音書 2章1~12節 (新約p165)
牧会祈祷
讃 美 歌 3(2節まで)
説 教 「喜びの尽きる時」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 522(2節まで)
献 金
頌 栄 543
祝 祷
後 奏
説教「喜びの尽きる時」
ナザレにほど近いガリラヤのカナで婚礼が開かれ、そこに「主イエスが招かれ」ました。主イエスは喜びの中にも来てくださり、共に祝ってくださる救い主です。しかし私たちはどのような時に主イエスをお招きするでしょう。どういう時に必要とし、おいで頂こうとするでしょう。それはしばしば、苦しい時、悲しい時、つらい時でしかないのではないでしょうか。喜びや得意絶頂の時に、私たちは自分が主人公になり、思い上がってしまいます。そのような中にこそ誘惑や不信仰が宿ります。しかし私たちはいかなる時も主イエスをお招きします。我が人生を司るのはわたしではないからです。
その婚礼では「ぶどう酒が尽きてしまった」といいます。これは大変な失態で恥辱に満ちたことでした。大変な事態が生じたのです。当時の婚礼の重要性を思うと、準備不足だったとは思えません。ですからこれは「それでもこういう事態が生じてしまった」ということなのです。...私たちにも「想定外」のこと、「こんなはずではなかった」ということが起こります。突然の病、災害、災難、家族の問題...。「ぶどう酒がなくなりました」、これは苦境に落ち込み、八方塞がりになった人間のうめきなのです。
しかし窮状を訴えるマリアに、主イエスはつれない返事をします。「婦人よ、わたしに何の関わりがあるか」と。ショッキングな言葉です。しかし主イエスは続けて「わたしの時はまだ来ていない」といいます。主イエスの時があり、主イエスのなさりようがあるのです。
主イエスは600㍑以上入る水瓶いっぱいに水を張れ、といいます。その家の僕たちはその言葉に従います。するとその水が上等のぶどう酒に変えられたというのです。そのようにして主イエスは最初のしるしを行い、栄光を現されました。
私たちにも喜びの尽きる時、行き詰まる時があります。しかしそれは神さまの栄光が現される時でもあるのです。だから私たちは、焦れることもあり、絶望する時もありますが、それでもなお時を待ちます。しかしただ何もせずに待つのではありません。そこでなお主イエスの御言葉に従い続けるのです。こんなことに何の意味があるのかと思う歩みをも、続けていくのです。主の時があり、主のなさりようがあることを信じて。そうすればきっと、主イエスが救い主であることを知らされ、その栄光をあおぎ見る時が来るのです。