- ホーム
- お知らせ
- 2021年度のお知らせ
- 2021年5月9日 主日礼拝 =創立101周年記念日礼拝=
2021年05月02日更新
2021年5月9日 主日礼拝 =創立101周年記念日礼拝=
前 奏
招 詞 詩編78:1~4
頌 栄 544(夕拝194)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 マタイによる福音書 5章13~16節 (新約p6)
牧会祈祷
讃 美 歌 194(2節まで)
説 教 「地の塩・世の光としての使命を果たす教会」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 360(2節まで)
献 金
讃 詠 545
祝 祷
説教 「地の塩・世の光としての使命を果たす教会」
わたしたちはこの世にあって「塩」として、また「光」としての役目を果たす主の僕たちです。このことはわたしたちにもよく分かります。
しかし、地の塩であり、世の光であるということは生やさしいことではありません。それは「自分を捨てる」ことでもあるからです。塩が自己主張しすぎると料理は台無しです。光もまぶしすぎると目がくらみ、何も見えません。塩も光も周囲のため他者のために存在するのです。また主イエスが仰るように、「神さまの栄光のため」(16節)に存在するのです。わたしたちは「自分たちの存在によって神が崇められ、そして他者が生きる」ための存在です。それが教会・キリスト者です。
そんなわたしたちが恐るべきことは周囲の無理解や軋轢、迫害などではありません。それはすでに織り込み済みなのです(5:11~12)。むしろ「塩味を失うこと」をこそ恐れねばならないのです。当時の彼の地の塩は岩塩ですから、塩気が失われればただの石塊、不純物の固まりで、それは本当に外に投げ捨てられ、踏みつけにされたのです。また灯火の光も灯心が燃え尽きたり、油が尽きたり、風が吹いたりして消えてしまうことがあるのです。地の塩・世の光であることは決して甘いことではないのです。
しかし思えばこの地の塩・世の光としての働きは、そもそも主イエスがなさってくださったことでした。わたしたちが地の塩・世の光としての使命を果たすということは、その主イエスの働きに与るということなのです。弱いわたしたちですから、しばしば塩気を失い、また信仰の灯火がかき消されてしまうこともあります。だから礼拝を重んじ、聖書の御言に養われつつ、また主イエスによって塩気を補われ、消えてしまう灯火を灯して頂きながら、あるいは先達の後ろ姿に倣いながら、また教会の交わりに支えられながら、歩んでいくのです。