- ホーム
- お知らせ
- 2022年度のお知らせ
- 2021年1月23日 主日礼拝
2022年01月16日更新
2021年1月23日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編91:1~2
讃 詠 546 (夕拝:38)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 ヨハネによる福音書 4章27~42節 (新約p170)
牧会祈祷
讃 美 歌 528(2節まで)
説 教 「水瓶をそこに置いたままで」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 344(2節まで)
献 金
讃 詠 545
祝 祷
後 奏
説教 「水瓶をそこに置いたままで」 ヨハネ福音書4章27~42節
主イエスが女性と語り合っているので、弟子たちは驚きました。当時の律法教師は公の場で女性と話すことはタブーで、それを見られることは権威を失墜することだったからです。しかもその女性はユダヤ人の忌み嫌うサマリア人です。主イエスの行動は異常なことで、あり得ないことだったのです。しかし弟子たちはそれに対して何も言わなかったといいます。彼らは主イエスのなさることに何の口も挟まなかったのです。...わたしたちにも主のなさることが理解できず、受け容れ難い時があります。しかし主のなさることの前に、わたしたちの常識や思い、立場や慣習は、屈服しなければならないのです。それが弟子たちがここでしたことであり、またわたしたちが主イエスの弟子として歩んでいく第一歩なのです。
女性が去った後、弟子たちは主イエスに食事を勧めます。すると主イエスは「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」と仰いました。「食べ物」とは人を生かすものです。すなわち主イエスは「私を生かすのは、神の御心を行い、御業を成し遂げることだ。私はそのために生きている」と仰ったのです。主イエスにとって、御業を成し遂げるとは十字架に掛かることですが(19:30)、そのことによって神と人を結び付け、さらに真実な礼拝者を生み出すことでした。
一体、わたしたちの食べ物は何でしょうか。すなわち、わたしたちは一体何のために生きているでしょう。富のため、仕事のため、家族のため、自分の幸せのためでしょうか? わたしたちも「御心を、地にもなさせたまえ」と祈るごとく、それぞれの持ち場で神の御業のために歩んでいきます。それがキリスト者です。そしてそれは決して、苦行のようなこと、重荷などではないのです。主イエスはそれを「食べ物」と言います。そして主イエスは食事を大いに喜ばれた方でした。わたしたちもそうなのです。
サマリアの女性は「水瓶をそこに置いたまま」、急いで主イエスを伝えに町へ戻りました。無我夢中で、我を忘れて。...一体、わたしたちにはそのような喜びがあるでしょうか。わたしたちは何に生かされているでしょうか。わたしたちの食べ物は何でしょうか。