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2022年01月09日更新
2022年1月16日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編100:1~3
頌 栄 539
主 の 祈
使徒信条
聖 書 ヨハネによる福音書 4章16~30節、39~42節 (新約p169)
牧会祈祷
讃 美 歌 527(2節まで)
説 教 「霊と真理による礼拝」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 20(2節まで)
献 金
頌 栄 541
祝 祷
後 奏
説教「霊と真理による礼拝」
「神は霊である。だから、神を礼拝する者も霊と真理をもって礼拝しなければならない」(24節)、これは「全身全霊をもって礼拝せよ」とか、「真心から神を礼拝せよ」ということではありません。これはそういったわたしたちの礼拝の姿勢のことではなく、わたしたちが何をもって礼拝しているのか、なにが礼拝を礼拝たらしめているのかを示す言葉です。
「霊をもって礼拝する」というのは、わたしたちの霊的な力のことをいっているのではありません。その前に、「神は霊である」とあります。つまり、「聖霊の導きの中で礼拝をする」ということです。霊なる神が今ここに共にいて、わたしたちに働きかけてくださっていることを信じて礼拝をささげるのです。
「真理」とは主イエスご自身のことであり(14:6)、主イエスが明らかにされた真理です。主イエスの明らかにしてくださった真理とは、十字架と復活によって示された福音、「神の愛と赦し」です。そのことのゆえに、またそのことをもって、わたしたちは神を礼拝をするのです。御利益のためなどではないのです。
主との対話の後、サマリアの女は水瓶をそこに置いたまま町へ帰っていったといいます。そして町の人々に、恥も外聞も、これまでの遺恨も捨て、主イエスのことを伝えます。すっかり変えられるのです。それは彼女に霊なる神さまの働きかけがあり、神の真理に彼女が打たれ、「神の愛と赦し」をしっかりと受け取ったからに違いありません。
わたしたちには、そしてこの世界には、「神の愛と赦し」が必要です。いろんなことがあります。失敗もし、罪を繰り返します。また先は見えません。不安もいっぱいです。けれどもどこまでもわたしたちを愛し、追い求め、赦し、背負ってくださる方がいます。この福音に生かされ続けたいのです。そのために、これからもわたしたちは「霊と真理をもって」礼拝をしていきます。それを神さまが望み、求めておられます。