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2020年07月05日更新
2020年7月5日主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編95:1~3
讃 美 歌 68
主 の 祈
聖 書 コリントの信徒への手紙二1章1~2節
牧会祈祷
説 教 「恵みと平和があるように」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 536
献 金
頌 栄 540
祝 祷
後 奏
報 告
※礼拝時間短縮のためプログラムを変更しています。
説教「恵みと平和があるように」
パウロは、この手紙で一番最初で、「わたしたちの父である神と、主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(2節)と、まず「神さまの祝福」を祈ります。
第一の手紙に出てきたようにコリントの教会は多くの問題を抱えて苦しんでいました。愛する信仰の子どもたちが遠く離れたところで苦悩しているのです。それでパウロは何度も手紙を書き、自分も訪問し(13:1)、またテモテを派遣し(第一16:10)、出来る手立てを尽くしました。彼はすぐにでも飛んで行きたかったでしょう。しかし今はそれが出来ないのです。遠く離ており、事情が許さないのです。
わたしたちも、愛する者のために居ても立ってもいられない思いをします。遠く離れていたり、なかなか事情が許さず、もどかしい思いをする...。しかしわたしたちも、「恵みと平安があるように」と神の祝福を祈ることが出来るのです。
わたしたちには、自分の力の及ばない時や事柄あります。自分の力には限界もあるのです。愛する者のために何から何までやってあげること、いつまでも伴走することなどできないのです。しかしたとえ自分の力は弱くとも、力が尽き果てようとも、神の力・神の愛に期待できるのです。わたしたちが誰かのために最後まで出来ること、最後に行き着くのは、神の祝福を祈ることなのです。
ここでもう一つ心に留め置くべきことがあります。それはパウロとコリントがこの時、距離的に離れていただけではなく、精神的にも離れていたということです。
彼らはパウロの使徒職を疑い、その容姿や話し方さえ批判し(10章)、「だまし取った」などという根も葉もない誹謗中傷さえなされていたのです(12:15~)。実はパウロはここで、そういう人々のために神さまの恵みと平和を祈ったのです。
わたしたちにもさまざまな不都合をする人が現れます。非難されれば腹も立ちますし、、ちょっと意見が違っただけで、もう相手を受け入れられなくなります。そんなわたしたち向かって、このパウロの姿を通して、イエスさまはおっしゃっています。「そんなことでいいのか? あなたがたがそんな生き方をするために、わたしは十字架にかかったのか?」と。
わたしたちの本分は「祝福を祈ること」です。 わたしたちは何のために教会に導かれ、信仰者として生きているのか? それは祝福の源になるためなのです。