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2020年09月27日更新
2020年10月4日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編65:5
頌 栄 539 (夕拝:49)
主 の 祈
聖 書 コリントの信徒への手紙二 3章4~11節 (新約p328)
牧会祈祷
讃 美 歌 85
説 教 「はるかに優れた救い」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 518
献 金
頌 栄 540
祝 祷
後 奏
報 告
説教「はるかに優れた救い」
今日の箇所でパウロはひたすら、律法と福音の比較を語ります。「律法と福音」を「文字と霊」、また福音を「新しい契約」と呼び、さらには両者を「死に仕える務めと命に仕える務め」、「人を罪に定める務めと人を義とする務め」、あるいは「消え去るべきものと永続するもの」と表現しています。そうやって「律法と福音のどちらが優れているか? 福音は律法よりはるかに優れた救いの約束だ」と語るのです。さらに律法(十戒)を示したモーセの働きよりも、福音に仕える自分の務めはもっと素晴らしいものだといいます。 これは、「私はモーセよりも偉大だ」ということではなく、パウロに託されたこの福音がとてつもなく偉大で素晴らしい救いだということです。
パウロがこうを語るのは、パウロを否定し、コリント教会を混乱させていた「偽教師たちの教えを退けたい」、そんな思いもありました。彼らはキリストを信じるだけではなく、旧約の戒めを守ることも求めたのでしょう。彼らとその教えを退けたかったのです。
しかし何よりも、パウロは福音の素晴らしさを知って欲しかったのです。いわば、「太陽が昇ると、もうろうそくの明かりは必要ない」ように、「もう自分の力で神にしっかりと掴まり続けなくてもいい。神がイエスさまの十字架ゆえにあなたを赦し、捕らえてくださっているのだから」、そのことを何としても伝えたかったのです。
わたしたちにとっても、福音は何よりも大切なものです。それは「人の生き死にに関わること」なのです。人生においてこれ以上に重要なことはないのです。
政治学者の姜尚中さんが、「人生とは丸太の橋を渡るようなもの。下をのぞいたら、実は死という谷底がある」ということを述べていました。確かに一寸先は闇です。いつ突然の病、事故、災害が襲いかかってくるか分かりません。わたしたちの知恵や力、これまでの経験や功績など何も通用せず、何もかも奪われることがあるのです。わたしたちの歩みは、普段意識しないだけで深い谷底の上に掛かった危うい丸太のようなものなのです。
しかしわたしたちは安心して渡っていけるのです。たとえ落ちても受けとめてくださる方がいるからです。仮に谷底に落ちたとしても、その谷底まで探しに来てくれる羊飼いがいるのです。それがキリストの十字架の救いです。
パウロはここで何としてもこの救いを伝えたいのです。福音こそ、私たちを生き生きと生かし、恐れに打ち勝たせ、朽ちることのない希望の中で死を迎えさせてくれる素晴らしい救いです。