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2020年09月20日更新
2020年9月27日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編146:1~2
頌 栄 539 (夕拝:48)
主 の 祈
聖 書 ルツ記 4章11~22節 (旧約p427)
牧会祈祷
讃 美 歌 85
説 教 「希望を抱いて」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 285
献 金
頌 栄 540
祝 祷
後 奏
報 告
説教「希望を抱いて」
ナオミは夫のエリメレク、そして二人の子と一緒に、ユダのベツレヘムから飢饉を逃れてモアブに移り住みました。ところが夫が幼い子どもたちを残して死んでしまうのです。異国の地で夫を亡くし、女手一つで子どもを育てる...、気が遠くなるような話です。ナオミは苦労して息子たちを育て上げ、彼らはそれぞれモアブ人の女性と結婚します。ところが今度はその息子たちが死んでしまうのです。するとそこに故郷ベツレヘムの飢饉が収まったという知らせが届きます。...この10年はいったいナオミにとって何だったのでしょうか。ナオミ(快い、楽しいという意)という名は、なんと皮肉なことでしょう。
そのナオミに、どこまでもついてきてくれたのが嫁のルツです。ルツは姑を気の毒に思っただけではなく、信仰の決断によってナオミについていきました(1:16)。
ベツレヘムでは早速生活に困窮し、ルツは落ち穂拾いに出かけます。そのような苦労の中で、ナオミとルツは互いにいたわり合いつつ、真実に生きていきます。そんな二人を神さまが放っておかず、ルツはボアズと出会い、二人はやがて結ばれ、その間にオベドが生まれます。そのようにしてナオミにも喜びがもたらされ、ナオミは名実ともにナオミとなっていくのです。
このルツ記は、「不幸を呪うな。苦労してもくさるな。きっとハッピーエンドを迎える。だから孝行しろ。思いやりを忘れるな。誠実に生きろ」、単にそういう話ではありません。ルツ記が語りたいことは、最後に記されている結論です。「オベドにはエッサイが生まれ、エッサイにはダビデが生まれた」(22節)。
そしてこの系図はその後も続きます。その1000年先にイエス・キリストが誕生することになっていくのです(マタイ1章)。なんと壮大で神秘的な神のご計画でしょう。そこには全世界に広がる、そして永遠に続く喜びがあるのです。そこにつながっていたのです。
ひとりの信仰の決断や愛が、周りにどんな恵みをもたらすのかを忘れてはなりません。その幸いは自分たちの周囲に留まらず、子孫にまで及び、全世界に及ぶことになっていったのです。いつどこで花が咲き、どういう形で実を結ぶか分からないのです。だからわたしたちも、苦難の中でも希望を抱き、神に従うのです。
またナオミとルツは「教会の原型」です。苦悩や痛みの中で、彼女たちのように堺教会もこの100年間、手を取り合って歩んできたのです。ナオミとルツに、そしてこの教会の先達に続き、手を取り合って歩んで参りましょう。神さまの祝福と恵み、救いを、周囲に、またこれから先の者たちにもたらすために。