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2020年11月15日更新
2020年11月22日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編126:5~6
頌 栄 542 (夕拝:41)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 コリントの信徒への手紙二 5章1~5節 (新約p330)
牧会祈祷
讃 美 歌 3
説 教 「死に勝つ希望」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 483
献 金
頌 栄 540
祝 祷
後 奏
報 告
説教
「地上の幕屋」(1節)とは「私たちの体」のことです。しかしそれだけではありません。この肉体を持って営んでいる生活全体、地上での人生のことです。それは幕屋(テント)のような破れやすい脆いもので、あくまでも仮住まいなのです。しかし聖書は、「この地上の幕屋に対し、人の手で造られたものではない建物、永遠の住みかが神様によって天に備えられている」と言うのです。わたしたちの地上の命は滅びても、確固たる新しい命が天に備えられているのです。
その新しい命は、この地上における命や人生と全く無関係のもの、別物になるのではありません。「上に着る」(2、4節)とあるように、それはこの地上の命を上から包み込むような命なのです。脆く、また罪や破れの多い人生の全てが、イエスさまの命に上から包み込まれるのです。
しかし同時に、新しい命は単にこの地上の命の延長でもありません。わたしたちの幕屋、様々な苦難や痛み、悲しみを一杯背負った人生が、全て新しい建物で覆われるのです。イエスさまを上に着ることで、「罪や汚れ、痛みや悲しみ」を「なき物」とされるのです。この地上で私たちを苦しめた様々な罪や悪を取りのけられ、自他共に清い者とされ、またこの地上での数々の涙や痛みをも取りのけられて、生かされるのです(黙示録7章)。
この新しい命には「確かな保証」が与えられています。「霊(聖霊)」です(5節)。イエス・キリストを主と信じ、告白する者にはすでに「聖霊」が与えられています(一コリ12章)。だから私たちは心配しなくてもいいのです。その聖霊が私たちを取りなして、必ずや神様の御許、天にある住みかへと私たちを導いてくださるのです。
この信仰、新しい命への希望は教会を支え続けました。「私たちの地上の幕屋は壊れても、神によって備えられた永遠の住みかが天にある」、これこそ2000年の歴史を貫いて、どんな迫害にも負けず、またどんな逆境や病、死の病さえもはねつけるキリスト者の力、教会の力です。
私たちはいつの間にか「見えるもの」に目や心を奪われてしまっているのではないでしょうか。いたずらに死を恐れ、その先を見る信仰の力を失っていないでしょうか。「死んだら全てお終いだ」という考えに捕えられ、この世に対してだけ重きを置いて歩んでいないでしょうか。しかし私たちの地上の歩みは「幕屋」、仮暮らしなのです。この地上の生活は必ず過ぎ去っていくのです。私たちは、見るべきものをしっかりと見つめて、生きていきたいのです。