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2020年11月22日更新
2020年11月29日 主日礼拝
前 奏
招 詞 イザヤ書60:1~2
讃 詠 546 (夕拝:94)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 サムエル記上 3章1~14節 (旧約p432)
牧会祈祷
讃 美 歌 94
説 教 「僕は聞きます、主よお話しください」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 365
献 金
頌 栄 541
祝 祷
後 奏
報 告
説教「僕は聞きます、主よお話しください」
乳離れしたサムエルは神殿に預けられました。祭司エリのもとで数年過ごし少年となったサムエルに、ある夜神さまが呼びかけられます。しかしサムエルはそれに気づかず、エリに呼ばれたと思います。サムエルは「まだ主を知らなかった」(7節)のです。神さまは、まだ神を知らず、信じない者にさえ呼びかけ、召されるのです。こちらがどんなに無知でも不信仰でも、それが問題なのではないのです。
サムエルは祭司エリのアドバイスにより、ついに神さまの呼びかけに「僕は聞きます。主よお話しください」と答えます。神さまはそのサムエルにご自身の御言葉・御心を伝えられます。...この姿は信仰者のあるべき姿です。私たちも「僕は聞きます、主よお話ください」と御前にひざまずいて祈るのです。その祈りに生きるのです。そしてそこで示される神さまの御言葉・御心に従って生きるのです。
しかし、その時神さまは何を語られるのか? 神さまは、この時サムエルに「両耳が鳴るようなこと」、すなわち耳鳴りがするようなこと、頭の痛くなるようなことを仰ったのです。それは「自分の尊敬する祭司エリの家が裁かれる」ということです。それだけではなく、彼はそのことをエリに伝えなくてはならなくなった、というのです。
「主よ、お話しください」と御前に立つ時、神さまは決して耳障りのよいことだけを仰るのではないのです。聞きたくないようなこと、自分にとって都合の悪いことや、厳しいこと、やりたくないことだって仰るのです。しかし少年サムエルはそこで語られたことを、しかも都合の悪いような言いづらいことをしっかりとエリに伝えたのです。
信仰とは、自分の聞きたいことだけを聞き、やりたいことだけをやるのではありません。...思えば2000年前のヨセフとマリアもそうでした。神さまから突然呼びかけられ、そこで伝えられたことは、「神の御子を身ごもる」という全く受け入れがたい話、また「そのマリアを受け入れよ」という耳の鳴るような話、大変な重荷でした。しかし彼らはそれを聞き、その御言葉に従います。そこからあのクリスマスの出来事が始まっていったのです。...わたしたちはどうでしょうか。