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2020年04月16日更新
2020年4月19日主日礼拝
前 奏
讃 美 歌 154(1節と2節)
主 の 祈 (週報裏面)
聖 書 コリントの信徒への手紙一
16章1~4節
(新約p323)
牧会祈祷
説 教 「神に仕えるということ」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 391(1節と2節)
献 金
頌 栄 540
祝 祷
後 奏
報 告
説教「神に仕えるということ」
「エルサレム教会への募金」が呼びかけられています。エルサレムでは迫害が続き、職を失い、疎外され、閉じこもるような日々。またそこに飢饉が起こり、二進も三進もいかなくなっていたようです。...これは今も同じです。全世界的な災禍のために貧しくされ、
疎外され、困窮している人々がいます。これからはそういう教会も出てきます。「そういった人たちに力と祈りを捧げよ」と呼びかけられています。
その際忘れてならないのは、それが「神のために行うこと、神にお仕えすることだ」ということです。15章のお終いでパウロは、「主の業に励みなさい」と語り、その上でこの「募金」について語り始めたのです。すなわち、困窮する者たちへの援助や配慮は「主の業、神に仕えること」なのです。またパウロはその募金について、「週の初めの日にはいつも...手元に取っておきなさい」(2節)といいます。週の初めの日、すなわち「主が血を流し、全てをささげてくださった」ことを味わう礼拝の日に、「献げ物を取り分けておけ」というのです。つまりそれは主イエスの愛に応えること」なのです。...それを見失うからこそ、私たちは相手の無理解や仕打ちに腹が立ったり、むなしくなったり、馬鹿らしくなってしまったりするのです。
パウロとエルサレム教会の関係は少し微妙でした。エルサレム教会とコリント教会もそうです。異邦人教会であるコリント教会は「あとから入ってきたよそ者」という扱いを受け、パウロも主イエスの直弟子ではない」と軽んじられることがありました。パウロはそんな相手のために「ささげよう」というのです。そればかりか、彼らのために「手紙」を書くし(3節)、よければわたしもエルサレムに行く(4節)というのです。その相手を越えて「神さま」を見ていたのです。
これから、私たちの祈りや助けを必要とする人たちはたくさんになるでしょう。また支え合い、助け合うことが本当に大切な世の中になっていくでしょう。そんな中で、私たちは何かをなす時、それが「神に仕える」ことであり、「主の愛に応えること」なのだということを忘れずにいたいのです。それが私たちの土台、いつまでも枯れることのない愛の動機です。