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2020年05月13日更新
2020年5月17日 主日礼拝
前 奏
讃 美 歌 55(1節と2節)
主 の 祈 (週報裏面)
聖 書 コリントの信徒への手紙
16章10~11節
(新約p323)
牧会祈祷
説 教 「キリストの使者として」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 344(1節と2節)
献 金
頌 栄 540
祝 祷
後 奏
報 告
説教「キリストの使者として」
パウロは今エフェソを離れることが出来ませんでした(8節)。そこで、自分の代わりにテモテを先にコリントに遣わすことにしたようです。
それに際し、「彼をないがしろにするな」といいます(11節)。テモテは若い伝道者でした(第一テモテ4:12)。また彼は線が細く、身体も虚弱な若い伝道者だったと推測されるのです(第一テモテ5:23)。それで「頼りない」、「重みがない」、「未熟だ」と軽んじられることが実際にあったのでしょう。
それでパウロは「彼をないがしろにするな」と言います。なぜなら彼は自分と同じ様に、「主の仕事」(10節)をしているからです。その働きの中にはキリストが共におられるのです。だとすれば、「彼を蔑ろにすることは、主を蔑ろにすること」なのです。
思えば、わたしたちは一体どれだけ主を蔑ろにしていることでしょう。というのは、わたしたちの身の回りの出来事はすべて、神のご支配と導きの中で起こっています。だとすれば、誰かと出会い関わることは、神が遣わして下さった人との関わりであり、出会いであり、交わりなのです。なのに、わたしたちは人によって態度を変え、重んじる人とそうでない人がいたり、ろくに相手にせず、毛嫌いして付き合わない人もいるのではないでしょうか。
人間だけではなく、わたしたちは様々な出来事と遭遇します。その中には興味深いことや楽しいこともあれば、些細なこと、嫌で面倒なこと、苦しいこともあります。しかし、もしそれが神の与えて下さった事柄、神の課された課題であるならば、どんなにそれが面倒でも嫌でも、真実に謙遜に取り組んでいくべきです。決して蔑ろにし、軽んじてはならないのです。
わたしたちは人物でも物事でも、印象や好き嫌いで判断したり、これまでの経験や固定観念で判断することがあります。でもそれは本当に正しいことなのでしょうか。
パウロはコリントの人々に言います。「テモテは主の仕事をしている。だから彼を蔑ろにするな。それは主を蔑ろにすることだ」と。...若く、頼りなく、パウロの代わりにはふさわしくない、そう見えるかもしれない。しかし「そのテモテの中にキリストが働いておられる。キリストが彼を通して働いておられるのだ」と語るのです。
先入観は悪であり、固定観念は罪です。人物に対しても物事に対してもそうです。パウロは私たちにも、「テモテをキリストの使者として受け入れるように」と語っています。






