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2020年06月07日更新
2020年6月7日主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編121:7~8
讃 美 歌 498(1節と2節)
主 の 祈
聖 書 コリントの信徒への手紙一
16章13~18節
(新約p323)
牧会祈祷
説 教 「執り成しに生きる」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 393(1節と2節)
献 金
頌 栄 540
祝 祷
後 奏
報 告
※礼拝時間短縮のためしばらくの間、プログラムを変更、
司会もすべて牧師が担当し、讃美歌は2節までとします。
説教「執り成しに生きる」
「ステファナ、フォルトナト、アカイコ」(17節)はコリント教会のメンバーで、パウロのもとにコリント教会の様子を伝えに来た人たちです。そしてこの第一コリント書簡を携えてコリントに帰りました。つまり彼らは混乱と争いの中にあるコリント教会のことを放っておけなかったのです。また「わたしとあなたがたとを元気づけてくれた」とあるように、パウロとコリントの教会を取りなす働きをしたのです。
この時、コリントの教会の中には派閥争いがあり、種々の問題に対して意見の対立もあり、教会は大混乱、いつ空中分解してもおかしくない状態でした。パウロに対しても、「あれは本当の使徒ではない」という批判が巻き起こり、しばらく合わないうちに疑心暗鬼になり、不信感も募っていたようです。そんな時に、このステファナたちが労苦したのです。その働きによってパウロもコリントの教会も、元気づけられたのです。
人が集まる所には必ず軋轢や衝突が起こります。これは教会も同じです。でもそれを驚きあやしむことはありません。大事なのは「そこでどうするのか」です。ステファナたちは火に油を注ぐようなことをせず、執り成しに生きました。わざわざエフェソまで出向き、パウロとコリントの人たちを元気づけたのです。これこそキリスト者の働きです。
「キリスト教共同体は、会員相互の執り成しに生きるものであり、そうでなければ崩壊してしまう」(ボンヘッファー)。共同体を崩壊させてはなりません。そのために必要なのは、陰ながら祈り、執り成す存在です。そういう人があれば決して教会は倒れません。また家庭でも職場でも、そういう存在に支えられているのではないでしょうか。
執り成しの働きは、そもそもイエスさまが示してくださった事柄です。特に十字架の上で、「父よ彼らをお赦し下さい、何をしているのか知らないのです」と祈りながら取りなしてくださいました。ですから、わたしたちが執り成しに生きるとき、それは「キリストの業に生きること」なのです。わたしたちが、「キリストに似た者になる」、「小さなキリストになる」のです。それが「キリスト者として生きる」ということです。
いわば、わたしたちは「フィルター」になるのです。すなわち、「いったんわたしを通ると、どんな泥水も清水になる」、わたしたちはそのために召されているのです。