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2020年09月13日更新
2020年9月20日 主日礼拝
前 奏
招 詞 イザヤ書46:3~4
讃 詠 546 (夕拝:45)
主 の 祈
聖 書 コリントの信徒への手紙二 3章1~3節 (新約p327)
牧会祈祷
讃 美 歌 82
説 教 「キリストの手紙として」
祈 祷 内田 知牧師
讃 美 歌 339
祝 福 式
讃 美 歌 284(1節と4節)
献 金
讃 詠 545
祝 祷
後 奏
報 告
説教「キリストの手紙として」
パウロはコリント教会の産みの親です。しかし偽教師に惑わされたコリント教会とは、すっかり関係がこじれていました。しかしパウロは彼らに、「わたしたちとあなたがたの間に推薦状は必要だろうか」といいます。そんな関係ではないはずだというのです。またさらに「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身だ」といいます。仕事や作品自体が職人や芸術家の推薦状になるように、コリント教会を見ればわたしが分かるというのです。
しかしコリント教会は問題だらけの教会でした。けれどもその教会をも「私の推薦状だ」というのです。すなわち、「彼らに問題があればその責めを負うのはこの私だ」というのです。それだけこの教会を深く愛していたのです。
またパウロはさらに、「あなたがたはキリストの手紙として公にされている」といいます。「あなたがたの日々の生活を見ると、そこにキリストからの語りかけを多くの人が知ることが出来る。あなたたちはこの世に送られたキリストからの手紙なのだ」というのです。
このわたしたちも「キリストの手紙」です。キリスト者はすべてキリストの広告塔、この世にイエスさまを紹介する推薦状です。ある人がこれを「霊感と警告とを併せ持つ真理だ」といいました。教会やイエスさまがわたしたちの生き様によって判断されてしまうのです。どんなに主イエスの福音が素晴らしくとも、わたしたちがそれに真実に生きていなければ、周りの人たちは喜んで御言葉に耳を傾けようとはしません。これは否定しようのない事実です。「教会にとって、一番大きな妨げとなっているのは、クリスチャンと称する人々の生活である」(ディック・シェパード)。
しかし一方で、「キリストの手紙」として生きていくということは、わたしたちの生活がパーフェクトで、一点の陰りも曇りもないものでなければならないということではありません。わたしたちの歩みが破れていても、ボロがあっても、「その破れをイエスさまの愛が赦し、支え、用いてくださっている、そこにイエスさまの愛が映し出されている」、そういう生き方です。
私たちはキリストの手紙、キリストを紹介する推薦状です。差出人は主イエスで、宛て先は家庭、職場、この世です。この週もそれぞれの歩みに遣わされて参りましょう。