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2021年05月30日更新
2021年6月6日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編100:1~3
頌 栄 539(夕拝34)
主 の 祈
信仰告白
聖 書 コリントの信徒への手紙二 11章1~6節 (新約p337)
牧会祈祷
讃 美 歌 1(2節まで)
説 教 「神の熱い思い」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 87B(2節まで)
献 金
頌 栄 541
祝 祷
説教「神の熱い思い」
パウロは自分が愚かになったと言います(1節)。思えば、10章以下ではずいぶんと激していますし、5節では「あの大使徒たち」という皮肉まで口にします。パウロは一体どうしたのでしょうか。
パウロはコリントの人々を「ひとりの夫と婚約させた、キリストに献げた」(2節B)、すなわち彼らが「自分」とではなく、「キリスト」と結び合わされるために力を尽くしてきたのです。ところが、偽使徒がやってきてコリントの人々を惑わせ、パウロとその宣べ伝えた福音から引き離してしまったのです。パウロはコリントの人たちの心が自分から離れていくのもつらかったでしょうが、何より福音から、そしてキリストから離れていくのがつらかったのです。パウロの胸は張り裂けんばかりで、彼はすっかり激してしまったのです。
しかしこの心痛はパウロだけのものではありません。パウロは「神の抱いておられる熱い思いをわたしも抱いている」(2節)といいます。「そもそもこれは神さまの思いだ」と言うのです。この「熱い思い」という言葉には「妬む」という意味もあります。相手のことを思うともう普通ではいられなくなるほどの熱い思いです。これはコリントの人々に対する神の思いであると共に、わたしたちに対する神さまの思いです。わたしたちはそれほどにまで神さまに愛されているのです。
それなのに、わたしたちは違った福音に流され、魅入られ、キリスト以外のものに結ばれてしまってはいないでしょうか。神さまはわたしたちのことを思うと、もう普通ではいられないのです。神さまはあなたのためならば手段を選ばず、とんでもない手段を用いられたのです。御子の十字架です。そうやって我が身を切ってまで、御子イエスを十字架に掛けてまで愛しておられる。それほどにまで愛されているのです。この事実をしっかりと受け止め、神さまと共に歩んで行く私たちでありたいのです。