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2021年07月04日更新
2021年7月11日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編100:1~3
頌 栄 539(夕拝42)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 コリントの信徒への手紙二 11章30~33節 (新約p339)
牧会祈祷
讃 美 歌 8
説 教 「破れを抱えて、あたためて」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 290
献 金
頌 栄 540
祝 祷
説教「破れを抱えて、あたためて」
32節以下語られているのは使徒言行録に出てくる出来事です(使徒9:23~25)。アレタ王はAD37~39年にダマスコを支配していた王です。おそらくユダヤ人たちはアレタ王に働きかけ、合法的にパウロを始末しようとしたのでしょう。しかしパウロはかごで城壁から吊り下ろされて、難を逃れたのでした。これはパウロがキリスト者になって最初に受けた迫害でした。
一体この話は何でしょうか? これまでパウロは、愚か者のようになって偽使徒と同じ土俵に立ち、肉の誇りを述べてきました(11:16~)。家柄、血筋、またキリストのための様々な苦労といったある意味で立派な姿を示してきたのです。しかしその後で、彼は「誇る必要があるなら、私の弱さに関わる事柄を誇る」(30節)と言い、自分が一番最初逃げた話」をするのです。これは、「この出来事が彼の心をたえず苦しめていた」ということではないでしょうか。パウロはどんな仕打ちをされるよりも、あの時ダマスコから夜の闇に紛れて逃げ出してしまったことを、消してしまいたい過去、取り返しのつかない失敗として自らの中に抱えていたのではないだろうか。しかしこの出来事を胸の中にあたため続けてきたことが彼を強くしたのではないか。そしてそのことでキリストの愛と、伝道への使命感をますます強くしていったのではないだろうか、そう思うのです。
「神の御心に適った悲しみは、...あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらした」(第二コリ7:10~11)。
悲しみを味わうこと、失敗をすること、破れを抱えること...、それはつらいことです。しかし、「そのことによってこそ導かれる場所が必ずある」のです。後になって、その意味が分かることがきっとあるのです。神を信じる者は「未来」を見ます。失敗や苦しみの原因を過去に見るのではないのです。失敗や苦しみの原因は過去にではなく、未来にあります。私たちはそのことを信じることが出来るのです。