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2021年07月18日更新
2021年7月25日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編86:11
頌 栄 539(夕拝44)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 サムエル記上 13章1~15節 (旧約p446)
牧会祈祷
讃 美 歌 10
説 教 「信頼して待つ」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 304
献 金
頌 栄 541
祝 祷
説教「信頼して待つ」
サウルはイスラエルの王となって丸二年が経ち、いよいよペリシテに戦いを挑みます。しかしペリシテは圧倒的戦力を誇り(5節)、イスラエルはわずか3千の兵力(2節)、しかもペリシテに完全に武装解除されていたのです(19節)。この現実を突きつけられたイスラエルの兵は逃げ去り(6節)、残った者もおののいていました(7節)。しかしまだ希望があったのです。一騎当千のサムエル、神の預言者が来てくれることです。ところが約束の7日が過ぎてもサムエルはやってきません。そこでしびれを切らしたサウルは、勝手に神にいけにえをささげてしまったというのです。
サウルは二つの過ちを犯しました。一つは「待てなかった」ということです。同情の余地はあります。しかし神さまが「待て」というからには、「私にゆだねよ」ということなのです。そして少し遅れましたが、サムエルは確かに来たのです。わたしたちの願うようなタイミングではないかもしれませんが、救いは必ず訪れるのです。
もう一つの過ちは「分を越えた」ということです。サウルは祭司ではありません。いけにえを献げるという神の領域に関わることは、サムエルの担うべきものでした。
わたしたちも思い通りにならない現実・人生の旅路において、自分の手で決着をつけたくなることがあります。しかし神の領域を犯すようなことがあってはなりません。自分について、隣人について、自分の人生やこの世界について、神の位置に立って裁定してはならないのです。
待つことができずに、分を越えてしまったサウルは叱責されました。この出来事を通して「どうか私を信頼して待って欲しい」と神は願っておられます。