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2021年08月22日更新
2021年8月29日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編121:1~2
讃 美 歌 14(2節まで)(夕拝50)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 サムエル記上 14章1~23節 (旧約p447)
牧会祈祷
説 教 「神が共にいてくだされば」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 303 (2節まで)
献 金
頌 栄 541
祝 祷
後 奏
説教 「神が共にいてくだされば」
いよいよペリシテとの第一戦が始まります。しかし敵は最新兵器を持ち、海の砂のような大軍です。一方でイスラエルで武器保有者はサウル王と王子ヨナタンだけで、兵士はわずか600だったといいます。その上、頼みの綱の神の人サムエルには、勝手にいけにえを献げて叱責されてしまったのです(13章)。もはや万事休す。敗北と破滅は火を見るよりも明らかでした。それで味方の兵も逃げていき、中には寝返ってペリシテ側についたイスラエル人もいたようです。
絶望的な状況におかれた時、人は様々な動きをします。逃げ出す者、恐れおののく者。不平を言う者、責任転嫁する者、やけになる者もあるでしょう。しかしこの時、王子ヨナタンは「敵陣に乗り込んだ」というのです。自暴自棄になったのでしょうか。それとも向こう見ずな人だったのでしょうか。そうではありません。彼の眼差しは「天に向いていた」のです。彼は「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」(6節)というのです。彼は敵を見て恐れおののかず、自らを見て絶望するでもなく、主とその御力を信じて敵陣に飛び込みました。するとその時、道が拓けていったというのです。小さな亀裂から、大きなダムが決壊するように、彼の決意と行動がきっかけとなり、敵の同士討ちも始まり、いつの間にか流れが変わり、気がつけば大きな勝利へと流れが変わっていったのです。主なる神が働いてくださったからです。
わたしたちも四の五の言わずに主に信頼して思い切って飛び込んでいくことも、時に必要です。大きな問題の前で自分の弱さや小ささを見て青くなったり赤くなったり、また人のせいにしたり、責任転嫁したり、いたずらに不安にかられて逃げ出したりする...、そういうこともあります。しかしそれは、その問題と自分自身しか見ていないのです。そこで「神を見上げる」という大切な信仰者の視点が欠けているのです。
忘れてはなりません。わたしたちには、主イエスを与えたもうほどにわたしを愛して下さっている神が共にいてくださるのです。