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2021年09月09日更新
2021年9月12日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編65:5
讃 美 歌 16(2節まで)(夕拝34)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 コリントの信徒への手紙二 13章11~13節 (新約p341)
牧会祈祷
説 教 「キリストに結び合わされよ」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 352(2節まで)
献 金
讃 詠 545
祝 祷
後 奏
説教「キリストに結び合わされよ」
パウロは「終わりに」と呼びかけます(11節)。これは手紙の終わりにあたってということだけではありません。パウロはコリント再訪を願っていましたが、高齢であり病気も持っていたようで、その実現は不確かだったのです。そういう意味で、これは文字通りパウロが彼らに贈った「最後の言葉」だと言えます。ここから先は、実に重い響きをもつ言葉なのです。
まずパウロは「喜びなさい」と言います。しかしそもそも喜ぶことは、命じられたり勧められたりして出来ることでしょうか。また人生には悩みがつきません。その中で喜びや感謝が消え、むしろ他人を非難したり、世間に恨み言をいったり、自分を責めたりクヨクヨしたりすることがよほど多いのではないでしょうか。またいつどんな形で不幸が襲いかかってくるか分かりません。 しかし信仰者の喜びとは「人生に対する楽観から来る」ものではありません。そういうあやふやで根拠に乏しいものではなく、「キリストから出る」ものです。自分には苦悩がある。これからも起こる。でもわたしにはキリストがいる。「だから喜ぶ」のです。キリストを与え給うほどの神の愛が注がれている。だからいつどこにあっても喜ぶことが出来るのです。
次にパウロは「完全な者になりなさい」といいます。これは「完全無欠の、パーフェクトな人になれ」ということではありません。この「完全な者になれ」(カタルティゾー)という言葉は、「調整する」とか、「正常に戻す」という意味があります。私たちはしばしば失敗し、つまずきます。どこかがゆがんで調整が必要になります。そこでキリストに向き直って調整してもらうのです。そうやって歩んでいきなさいというのです。またこの言葉には「組み合わされる、結合される」という意味があります。私たちは完全な者ではなく、また自分の力では完全な者になどなれるはずがないのです。けれども、私たちには完全なお方、主イエスがおられます。その「イエスさまに結び合わされる」ことが私たちの完全な者になるための大事な道筋なのです。ですから私たちは日々、少しでもイエスさまに結ばれていくのです。離れそうになったら軌道修正し、イエスさまに向き直って歩んでいきます。そのようにして主と共に歩むのです。パウロは終わりに「そうあれ」といいます。それがここで最後に私たちに求められている大切なことなのです。