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2021年09月19日更新
2021年9月26日 主日礼拝
前 奏
招 詞 詩編62:2~3
讃 美 歌 18(2節まで)(夕拝38)
主 の 祈
使徒信条
聖 書 サムエル記上 15章1~31節 (旧約p451)
牧会祈祷
説 教 「神が望んでおられること」
祈 祷 内田 知 牧師
讃 美 歌 333(2節まで)
献 金
頌 栄 543
祝 祷
後 奏
説教「神の望んでおられること」
イスラエルは神の命によりアマレク人と戦い、勝利を収めます。しかしその際、サウル王は神さまの言いつけに背き、戦利品をせしめます。牛でも羊でも上等のものは残し、価値のないものだけ滅ぼしたのです。さらにサムエルにそのことを指摘されると、「部下がした」、「神さまへの献げ物にしようと思った」と言い訳をします。それに対し、「神さまの喜ばれるのはいけにえではない。神に聞き従うことだ」(22節)とその心得違いを指摘されることになります。そして王位から斥けられることを知ると、「民の前ではわたしを立てるように」(30節)とまで言ったのでした。
サウルの本当の過ちは、ダビデと比べるとよく分かります。ダビデも大罪を犯します。しかし彼はそこで王としての体面を保つことなど考えず、心から悔い改めるのです。...問題は失敗や過ちを犯さないことではありません。そこで神の御前に心から悔い改めることが出来るかどうかなのです。それが神の望んでおられることです。
また神はどんな献げ物やいけにえよりも、聞き従うこと、神と共に生きることを喜ばれます。もちろん献げ物も奉仕も神は喜んでくださいます。しかし、いつも心が神共にあり、真実に神のみ言葉に聞き従って歩んでいくことを、何よりも私たちに望んでおられるのです。...これは大きな慰めです。世の中は立派な業績や能力によって、また少しも失敗や過ちを犯さないことで人を評価し、判断します。しかし神さまはわたしたちが神さまと共にいること、その言葉に聞き従うこと、罪を犯すことがあっても速やかに悔い改めることの出来る砕けたる心こそ、何よりも喜んでくださるのです。