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2009年11月号「ヤコブとヨハネ」
さて、ゼベダイの子ヤコブとヨハネとがイエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」。イエスは彼らに「何をしてほしいと、願うのか」と言われた。すると彼らは言った、「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」。イエスは言われた、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」。彼らは「できます」と答えた。するとイエスは言われた、「あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けるであろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、ただ備えられている人々だけに許されることである」。十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネとのことで憤慨し出した。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。(マルコによる福音書10:35-45)
ある日のこと、イエスさまのお弟子のヤコブとヨハネが、イエスさまに言いました。「先生、お願いがあります。イエスさまが王さまになれらる時が来たら、わたしたちのどちらかをあなたの右に、もう一人を左に座る者にしてください。」
イエスさまのお弟子さんたちは、イエスさまがもうすぐ王さまになられると思っていました。ですから、自分たちをイエスさまの次に偉い大臣にしてほしいと考えたのです。
ところが、イエスさまは、二人がとてもまじめなこと、イエスさまに一所懸命に従っていることをよく知っていました。そして、この二人だけでなく、他の弟子たちも同じことを考えていることも知っていました。しかし、弟子たちみんなが、イエスさまのことを思い違いしていることがわかりました。
そこで、イエスさまは弟子たちを集めて、「わたしは仕えられるためではなく仕えるために来たのです。多くの人が救われるために、命をささげるために来たのです。本当に偉くなりたい人はみんなに仕える者となり、いちばん上になりたい人は、すべての人のしもべとなりなさい。」と言われました。
お弟子さんたちは、その言葉がわかりません。イエスさまは、弟子たちが考えていたような王さまではありませんでした。
しばらくして、イエスさまは、命をささげるしもべのようになって十字架にかかって死なれました。多くの人の救いのために仕えてくださいました。
わたしたちが一所懸命、教会学校で礼拝で学ぶことは、偉い人になって自分より下の人たち、弱い人たちに命令することではありません。お金持ちになって贅沢な暮らしをすることでもありません。わたしたちが、神さまからいただいている才能や力、タラントを使って、みんなに仕えるためです。イエスさまがその手本を示してくださいました。人と人とが争い、憎み合う生き方ではなく、愛し合い、互いに認め合い、互いに仕え合う生き方こそが、イエスさまが、自らの死をもってわたしたちにお示しになられた生き方です。わたしたちは、そのイエスさまに従い、そのように生きたいと願います。
(お話 中野 康彦)