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2009年9月号「耳が聞こえず口がきけない人をいやす」
それから、イエスはまたツロの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通りぬけ、ガリラヤの海べにこられた。すると人々は、耳が聞えず口のきけない人を、みもとに連れてきて、手を置いてやっていただきたいとお願いした。そこで、イエスは彼ひとりを群衆の中から連れ出し、その両耳に指をさし入れ、それから、つばきでその舌を潤し、天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ」と言われた。これは「開けよ」という意味である。すると彼の耳が開け、その舌のもつれもすぐ解けて、はっきりと話すようになった。イエスは、この事をだれにも言ってはならぬと、人々に口止めをされたが、口止めをすればするほど、かえって、ますます言いひろめた。彼らは、ひとかたならず驚いて言った、「このかたのなさった事は、何もかも、すばらしい。耳の聞えない者を聞えるようにしてやり、口のきけない者をきけるようにしておやりになった」。(マルコによる福音書7:31-37)
ある日、みんなのところに、耳が聞こえないばかりか口もきけない人がやってきました。みんなは、その人をイエスさまのところに連れて行きました。イエスさまのところに行けば治してくださるかもしれないと思ったからです。
イエスさまは、みんなから少し離れたところへその人だけを連れて行きました。そして、その人の両耳にご自分の指を一本ずつ入れました。それから、ご自分のつばを指に付けてその人の舌にさわりました。そして、天に向かって大きく息を吐いて「開け。」とおっしゃいました。すると、その人は、すぐに耳が聞こえるようになり、話もすることができるようになりました。
わたしたちの目、耳、鼻、口は、すべて神さまが造られたものです。神さまは、何のためにこれらを造ってくださったのでしょうか?
わたしたちの耳は、他の人の悪口を聞くために造られたのではありません。耳は、もともと神さまのみ言葉を聞くために造られ、口は、もともと神さまを賛美するために神さまがわたしたちに与えてくださったのです。神さまがせっかく耳や口を与えてくださったのに、わたしたちは、自分の罪により、み言葉を聞くことができなくなっています。そんなわたしたちの救いのために、イエスさまは天に向かって祈ってくださいました。イエスさまの力で、耳の聞こえない人が聞こえるようになり、口のきけなかった人がきけるようになったのです。
つまり、神さまに造られたものであるわたしたちが神さまを忘れて自分勝手な生活をしている、そんな罪深いわたしたちの救いのためにイエスさまが働いてくださったということです。
イエスさまは、ほんとうにすばらしい方です。わたしたちは、イエスさまに従い、もっと神さまのみ言葉を聞き、心から神さまを賛美したいと思います。
(お話 林部 弘)