- ホーム
- 教会学校
- 教会学校新聞 いずみのひろば
- 2011年のコラム
- 2011年10月号「安息日を覚えてこれを聖とせよ。」
2011年10月号「安息日を覚えてこれを聖とせよ。」
ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。そのとき弟子たちが、歩きながら穂をつみはじめた。すると、パリサイ人たちがイエスに言った、「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」。そこで彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、また読んだことがないのか。すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。(マルコによる福音書2:23-28)
みなさんは、毎週日曜日に教会学校に来ますね。毎週聖書のお話を聞けていいですね。みなさんが教会学校に来るのは、聖書のお話を聞くのを楽しみにしているからだと思います。
今いっしょに十戒を学んでいますが、その四番目は、「安息日を覚えてこれを聖とせよ。」です。
わたしたちは、日曜日に教会学校で礼拝をしますが、日曜日は「安息日」ともいわれています。神さまは、はじめに天と地とを創造されました。六日のうちに天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった神さまは、七日目に休まれました。七日目は、前の日までと区別し、特別な日とされました。そして、神さまはこの日に休まれました。神さまが休まれたことを「安息」といいます。また、イエスさまは、わたしたちの身代わりとなって十字架で死なれましたが、三日目によみがえりになられました。イエスさまがよみがえりになったその日は日曜日でした。だから、わたしたちは日曜日に礼拝をします。神さまを礼拝するとき、わたしたちは、自分が神さまに愛され、守られていることを知ります。そして元気になります。そして、こころもからだも休まって、次の日曜日までのエネルギーをもらうことができるのです。だから、日曜日はわたしたちにとっての「安息日」なのです。
神さまは、わたしたちが礼拝するとき、そこにいっしょにいてくださいます。わたしたちのために時間を取ってくださるのです。わたしたちも、日曜日には、見たいテレビがあっても、遊びに行きたいと思っても、また何かをしている途中でも、それを途中でやめて神さまを礼拝するのです。神さまを礼拝するところに、わたしたちのほんとうの休みがあるからです。
(お話 油谷 和重)