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2011年11月号「盗んではならない」
しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陷るのである。金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。(テモテへの第一の手紙6:6-10)
2学期から、モーセさんが神さまから授かった「十戒」を学んでいます。十の約束のうち、前半は「どのように神さまを愛するか」、後半は「どのように隣人を愛するか」について、神さまとの約束が書かれています。きょうの「盗んではならない」は8番目の約束事です。
人の物を盗むのはダメに決まっている!って、みんな、そんなことぐらい知っていますよね。でも、なぜ盗んではダメなんでしょう? お父さん、お母さんに怒られるから? 警察に捕まるから?・・
みなさんは生まれてきた時、洋服を着ていましたか? 靴を履いていましたか? お菓子やゲームを手に持っていましたか? そんな人、誰もいませんね。私たちはみんな、裸で生まれてきました。でも、私たちは今、住む家もあるし、食べ物も、着る物もあります。おもちゃやゲームを持っていたり、たくさんの物に囲まれて暮らしています。これは、神さまがお父さん、お母さんたちを通して与えてくださった「お恵み」なのです。でも、神さまからの「お恵み」に満足しないで、もっとあれが欲しい!これが欲しい!と思う、欲張りな悪い心が生まれ、うそをついたり、盗んだりしても平気な心になってしまいます。
「盗み」とは、人が人の物を奪うということだけでなく、神さまが隣人に与えている「お恵み」を奪うことになり、それは神さまに「盗み」を働くことになってしまうのです。
神さまは、私たちにも十分なお恵みをくださっています。毎日必要な物をくださる神さまに感謝しましょう。そして、また、与えられた物を喜んで、隣人とお互いに分かち合って生きることを、神さまは望んでおられるのです。
(お話 森田 裕子)