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2012年1月号「天にましますわれらの父よ」
だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。(マタイによる福音書6:9-13)
主の祈りはイエスさまが教えてくださったお祈りです。世界中の教会で捧げられているお祈りです。そして、私たちの教会で使っている「主の祈り」は、文語調といって、1880年に日本語に翻訳された言葉で、普段使わない言葉です。意味がわかりにくいのですが、七五調リズムで、毎週、礼拝で全員で唱えるので、みなさんも自然と覚えてしまっていることだと思います。
わたしたち教会学校の先生は、こどもたち(求道者も一緒)にこう言います。
「とにかく、意味がわからなくても覚えてください。いずれ、あとからその意味がわかります。」(これは本当のことです。)
ただ、あまりに日常とかけ離れた言い回しに、一語一句を噛みしめながら祈るとなると、なかなかできないところもあるのではないでしょうか。
私自身も、教会に来た最初の頃(大人であっても)は、その古典的な言い回しから、実際にはどんなことを言っているのかよくわからないまま暗唱していました。しかし、教会生活が長くなって、むしろ礼拝に慣れてしまったクリスチャンのほうが、祈りの意味を深く考えず、言葉の意味を深く考えず、教会のお経(お題目)のようになっているおそれがあるのではないでしょうか(私もその一人です)。
教会学校では、今月から、「主の祈り」について、わたしたち(教師)がこどもたちに教えることになっています。教える立場のわたしたち(教師)にとっても、聖書の中に新しい発見があり、教えられます。何よりも、天と地を造られた神さまをわれらの父と呼べることは、当たり前のことではなくて、本当に素晴らしいことなのです。
「主の祈り」を繰り返し、共に学びたいと思います。
(お話 林部 弘)
主の祈り
天にまします我らの父よ 願わくは み名をあがめさせたまえ み国を来たらせたまえ み心の天に成る如く地にもなさせたまえ 我らの日用の糧を今日も与えたまえ 我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ 我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ 国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり アーメン