- ホーム
- 教会学校
- 教会学校新聞 いずみのひろば
- 2012年のコラム
- 2012年5月号「心の貧しい人々は幸いである。」
2012年5月号「心の貧しい人々は幸いである。」
「山上の垂訓」ブロッホ(1834-1890)
こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 (マタイによる福音書5:3-10)
わたしたちが思っている幸せとはどんなことでしょうか?
ふつう、わたしたちは、幸せな人とは、健康でお金持ちで家庭に恵まれている人だと考えます。しかし、イエスさまは、それと正反対のことをおっしゃいました。
自分は貧乏だし、体も強くない・・神さまから祝福されていない。だから不幸なんだと考えます。しかし、イエスさまは、心の貧しい人は幸いだと言っています。これは、どういうことでしょうか。なぜ、貧しいのに幸せなのでしょうか?
これは、神さまを抜きにすると、いくら考えても答えは出てきません。つまり、聖書を読むときは、自分中心ではなく神さまを中心にして、み言葉を読まないと理解できません。
「神さま、わたしはあなたの前で何も持っていません。助けてください。神さまを求めます。」というへりくだった心で神さまを求め、お祈りする時、その心を神さまは喜ばれるということです。
そして、聖書でいう貧しい者が、じつは世の中のどのお金持ちよりも神さまの前で豊かなものであるということなのです。
(お話 林部 弘)