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2012年8月号「安息日の主イエス」
そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」。そこでイエスは彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えたとき、ダビデが何をしたか読んだことがないのか。すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほか、自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである。また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。人の子は安息日の主である」。(マタイによる福音書12:1-8)
イエスさまと弟子たちは、安息日に麦畑を通られました。弟子たちは、おなかがすいたので、麦の穂をつまんで食べ始めました。
それを見ていたのは、いつもイエスさまをよく思っていないパリサイ派の人々でした。安息日は神さまのお定めになった休みの日、麦の穂を手で摘むなんて何事かと、攻撃するチャンスとばかりに責めました。
しかし、イエスさまは、昔ダビデとその家来がおなかがすいて困った時に神殿に備えてあるパンを食べて助かったことを話され、安息日であれ何が最も大切なことか、何が神さまのお心なのかを教えられました。そして、「人の子は安息日の主である」と宣言されました。「人の子」というのは、イエスさまのことです。
安息日を守るということは、安息日の主であるイエスさまを礼拝することです。安息日である日曜日に礼拝をするたびに、わたしたちはイエスさまの愛を受け取ります。そして、わたしたちも、わたしたちの心をお捧げします。
わたしたちは、どこまでもイエスさまに従って、心から礼拝をお捧げしましょう。
(お話 上田 信子)