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2013年6月号「イサクの嫁選び」
「エリエゼルとリベカ」ニコラ・プッサン(1594-1665)
さてイサクはベエル・ラハイ・ロイからきて、ネゲブの地に住んでいた。イサクは夕暮、野に出て歩いていたが、目をあげて、らくだの来るのを見た。リベカは目をあげてイサクを見、らくだからおりて、しもべに言った、「わたしたちに向かって、野を歩いて来るあの人はだれでしょう」。しもべは言った、「あれはわたしの主人です」。するとリベカは、被衣で身をおおった。しもべは自分がしたことのすべてをイサクに話した。イサクはリベカを天幕に連れて行き、リベカをめとって妻とし、彼女を愛した。こうしてイサクは母の死後、慰めを得た。(創世記24:62-67)
きょうの聖書の箇所は、ひと言で言うと、アブラハムさんの子どもイサクさんがどのようにして結婚相手を見つけたかというお話です。
イサクさんの結婚相手の条件は何だったのでしょうか? それは、イサクさん本人の希望というよりお父さんのアブラハムさんが望んだ条件でした。一つめは、カナン人の中から選んではいけない、つまり、主を信じる者の中から結婚相手を選びなさいということでした。次に、自分の住んでいる所へ連れ帰ることができる人、つまり、自分の家に来てくれる人(嫁に来てくれる人)であってほしい、この二つが条件でした。
選ばれたリベカさんは、旅人にコップ一杯の水をあげるだけでなく、らくだにも水を飲ませてあげる優しい人であり、イサクさんは「これは自分が選んだのではなくて人が見つけてきた人、こんな押しつけられた結婚は嫌だ。」とは言いませんでした。
もちろん、この話は今から四千年も前のお話です。今の日本にそのまま当てはめることはできないでしょう。しかし、ここには、結婚というものが何なのか、結婚して幸せになるとはどういうことなのか、そのことがはっきりと示されているのではないかと思います。
神さまの祝福とは、私たちが神さまの備えてくださる恵みを喜んで受け入れていくということです。その神さまの守りと祝福が、きょう与えられているリベカさんという妻との出会いなのです。イサクさんは、リベカさんと出会うために何もしていませんが、アブラハムさんに遣わされたしもべが連れてきたリベカさんを妻として迎えました。イサクさんは自分の力で手に入れたのではありません。ただ神さまを信じて受け入れただけです。
私たちは、結婚というものは、男と女がお互いに好きになって結婚するものだと思っています。もちろん、嫌いな人と結婚することはないのですけれど、好きだから結婚するというだけでは、結婚生活の基盤はとても弱いのです。なぜなら、私たちの好きという気持ちも変わりますし、結婚当初の条件だって次第に変わっていくでしょう。そして、好きだから一緒になったというだけでは、好きじゃなくなったから別れますということになりかねません。
イサクさんの嫁選びのお話で大切なことは、このことなのです。二人は、言ってみれば、親が決めた結婚でした。でも、イサクさんは、この結婚が神さまによって整えられたことを受け入れて、リベカさんを妻に迎えたのです。
(お話 林部 弘)
※ 都合により5月号は休載しました。