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2014年10月号 「ただひとりの神さま」
さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。というのは、たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても、そして、多くの神、多くの主があるようではあるが、わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。
(コリント人への第一の手紙8:4-6)
聖書の最初のページに創世記のお話があります。太陽、月、地球や、海の生き物、地上の生き物、空の鳥、そして人間も、この世界の中にあるすべてのものが、神さまが造られたものです。
わたしたちは、そのことを、教会に来て礼拝を通して教えられます。神さまがおられなかったら、この宇宙のすべてが、そしてわたしたちが無かったことになります。神さまに感謝しましょう。
でも、わたしたち人間には、目に見える物、手で触れる物しか信じようとしないところがあります。
神さまは目に見えません。手で触ることもできません。だから、神さまを信じることがなかなかむずかしい。「はい、わかりました。」と、すぐには信じることができません。
そこで、人間は誤って、神さまを目に見える形であらわそうと、像を造りました。そして、それを拝んで安心したいと願います。その像は、樹齢何百年という大きな木かもしれません。まぶしくて見つめることのできない太陽かもしれません。でも、それらは、人間が勝手に考えた物です。神さまそのものではありません。
わたしたちが信じる聖書の神さまは、天地のすべてを造られたただひとりの神さまです。このまことの神は、目に見えないお方です。太陽も月も星も、風や雨、山や川、木も岩も、そして、動物、人間、すべてのものを造られたのです。それらは神さまが造られたものであって、それが神さまではありません。
わたしたちはそのことを忘れず、目には見えないけれど、いつも見守っていてくださる真の神さま、聖書の神さまを礼拝していきましょう。
(お話 中野 康彦)
ミケランジェロ「太陽と月の創造」(部分)
1508-12 フレスコ
ヴァチカン、システィーナ礼拝堂