- ホーム
- 教会学校
- 教会学校新聞 いずみのひろば
- 2014年のコラム
- 2014年9月号「目を覚ましていなさい」
2014年9月号「目を覚ましていなさい」
だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
(マタイによる福音書25:13)
イエスさまのなさったたとえ話は、10人のおとめがでてきます。おとめたちは、花婿が到着して、結婚のお祝いの会が始まるのを待っていました。
ところが、なかなか、花婿は到着しません。到着を待っているうちに夜が来ました。花嫁たちは、みんな眠り込んでしまいました。
真夜中に花婿が到着してしまいます。「早くお迎えを。」の声が響き渡りました。みんな、急いで準備を始めます。
しかし、その中の5人は予備の油の用意をすることができませんでした。今から油を買いに行くのでは間に合いません。分けてくださいと他の人に頼みますが、その人も自分の油で精一杯です。余分の油もありません。灯を明るく照らし、賢い5人の花嫁たちは、花婿と一緒にお祝いの会に出ることができました。予備の油の用意がない5人のおとめたちは、油を買いに行っている間に、戸を閉められてしまいました。
イエスさまは、十字架にかかられる前に、お弟子さんたちにこのたとえ話をされて、ご自分がもう一度おいでになることを約束されていました。「イエスさまが再びおいでになる」。それを使徒信条では「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん。」といっています。
イエスさまは、今もわたしたちと共におられます。ただ、そのことは、わたしたちの目には隠されています。再びおいでになるのがいつであるかは、わたしたちにはわかりません。だから、「目を覚ましていなさい。」とイエスさまはおっしゃいます。
「目を覚ましていなさい。」とはどういうことでしょうか。眠らないことでしょうか。そうではありません。神さまにお祈りすることです。礼拝を守ることです。わくわくしてその日を待つことです。イエスさまがもう一度おいでになる。それが、わたしたちの希望です。
だから、明日、楽しいことがある、その前の夜のようにわくわくしながら、主の前に立っている自分の姿を思いながら、祈り、礼拝を守りましょう。
(お話 中野 康彦)
ブレイク「貞淑な乙女たち」
1822 水彩
ロンドン、テート・ギャラリー