- ホーム
- 教会学校
- 教会学校新聞 いずみのひろば
- 2014年のコラム
- 2014年4月号「イエスさまはよみがえられた」
2014年4月号「イエスさまはよみがえられた」
この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、このいっさいの出来事について互に語り合っていた。語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。
(ルカによる福音書24章13節~32節)
イエスさまがなくなられてから3日目の日曜日、ふたりの弟子がエマオという村に向かって歩いていました。そこにひとりの旅人が近づいてきて、ふたりと一緒に歩き始めました。旅人は「ふたりは何のお話をしているのですか。」とたずねました。そこでクレオパという弟子が答えました。
「あなたはイエスさまのことをご存じないのですか。あの方は神さまのお力をあらわした立派な方でしたから、きっと私たちを救ってくださるだろうと期待していたのですが、人気をねたんだ祭司長や役人たちが十字架につけて殺してしまいました。ところが、仲間の婦人たちがきょうの朝はやくにお墓に行ってみると、あのお方のからだが消えてしまっていて、天使が『イエスは生きておられる』と告げたというのです。それで、仲間の者が何人か見に行きましたが、たしかにイエスさまのからだは見当たりませんでした。」
「ああ、愚かで心のにぶい人たちよ、昔から預言者たちが教えてきたことを信じられないのか。」旅人はそう言うと、聖書から救い主キリストのことについて書いてあるところを詳しく説明しました。
そうするうちに、エマオ村に着きました。ふたりは「もう夕方ですからどうぞ一緒にお泊まりください。」と旅人を誘いました。
3人は宿屋に入り、夕食のテーブルにつきました。旅人はパンを取り、祝福のお祈りをささげて、それをちぎって、ふたりにわたしました。その時です。
「あっ、イエスさまだ!」
パンをちぎる姿を見たふたりは、その方がイエスさまであることがわかったのです。
「本当にイエスさまはよみがえられたのだ。ここにくる途中、聖書のお話をしてくださった時、私たちの心はうれしくて、熱く燃えるような感じがしたではないか。」大喜びのふたりは、すぐにエルサレムに帰って、ほかの仲間にこのことを伝えました。
イースターおめでとうございます。
(お話 忠岡 博)