- ホーム
- 教会学校
- 教会学校新聞 いずみのひろば
- 2015年のコラム
- 2015年3月号「われらに罪を犯すものをわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」
2015年3月号「われらに罪を犯すものをわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」
さて、イエスと共に刑を受けるために、ほかにふたりの犯罪人も引かれていった。されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
(ルカによる福音書23:32-34)
教会学校では、主の祈りを学んでいます。今回は主の祈りの中の「われらに罪を犯すものをわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」です。これは「わたしたちに罪を犯す人をわたしたちがゆるすように、わたしたちの罪もゆるしてください」という意味です。
「わたしたちに罪を犯す人をわたしたちがゆるすように」というところで、みなさん戸惑い真専科? わたしたちがゆるすみたいに神さまもゆるしてくださいというお祈りだったら、まずわたしたちがゆるす見本を見せなければなりません。
しかし、わたしたちはこんな感じです。たとえば、電車で隣の人が足を踏んだに謝らないと頭にきます。また、自分は正しいのに間違っていると言われると腹が立ちます。そして、約束をしたのに破られると文句を言いたくなります。こんなとき、わたしたちはなかなか他人をゆるすことができません。
きょうの聖書の中でイエスさまは言われました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。イエスさまは、ご自分を十字架に掛ける人たちのために、ご自分が十字架に付けられているにもかかわらずなおも祈られたのです。
わたしたちも神さまに罪を犯しています。神さまの御心に従わず、神さまを忘れて過ごしています。わたしたちは神さまに対して何をしているのかわからずにいるのです。
そう考えるとき、イエスさまが十字架の上で祈ってくださったのは、このようなわたしのためだったということがわかります。イエスさまはわたしたちの罪をゆるしてくださったのです。
わたしたちはそこから新しくスタートしたいと思います。まず神さまがわたしたちの罪をゆるしてくださいました。そこからスタートするとき、わたしたちも他の人をゆるせるようにされるのです。
(お話 油谷 和重)